バトル 5
症例発表というのは
患者さんをひとりを全体的にみて
今どんな状態か
それによって起きる問題をあげ
具体的な対策を立て
実施し
評価する
それを繰り返して安定、解決の方向へ持っていく
それをまとめて発表する、というものです
なんて大変なんでしょう
自分のこともなにも解決できない人間なのに
「背中さすってくれ。そこじゃない、もっと右!」
「へたくそ!」
「もうお前には頼まん!」
「そうですか わかりました。じゃぁ呼ばないでくださいね!」
いつものように脇田さんと闘っていると
奥さんが洗濯物を取りにみえました
「いつもすみません」
物静かな方です
奥さんが文句を言ってるのを聞いたことがありません
「奥さん、ちょっといいですか」
少し奥さんと話してみようと思いました
「ほんといつもすみません。主人頑固で。言葉は悪いけど悪気はないんですよ。言葉が足らないんです。職人気質なんでしょうかね。下の人はかわいがってましたから慕われてました。ただ息子や嫁にはそれが伝わらなくて・・・」
悪気ないのか
じゃぁなんだ
なにかしらにつけ文句を言い、バカアホまぬけといわれつつも
互いに遠慮なく言い合っているうちになんとなく親近感を覚えるようになっていました
「実はナースコールがものすごくて仕事にならないときがあるんです。正直わたしもまいってしまって。奥さんなにか思い当たることありませんか?」
「孫は今専門学校へ行ってるんですが、小さいときからほんとにかわいがってましてね。おじいちゃん子だったんです。それが反抗期に入ってから主人とも口を利かなくなって、息子たちと一緒に出て行ってしまってからは会えずじまいで。ちょうどあなたと同じ年のころだしあなたに重ねているのかもしれませんね」
まじかよ
なんでよ
屈折してるじゃないかよ
脇田さん、ややこしい
好きなら好きと言えばいいのに
「主人、孫や息子たちに会いたいんでしょうね」
むずむず
やばい
情にもろいわたしのココロをつついてきよった
脇田妻、なかなかやる
Kちゃんにこの話をすると
「お前なんか企んどるな」
「脇田さん、孫に会いたいんやろなぁ」
「無茶な計画たてるなよ」
Kちゃんに念を押されました
今でこそ緩和ケアなどという言葉があるが当時はそれほどポピュラーでなく
病状は悪いながらもなんとか安定はしているのですが、時期としてはターミナルです
脇田さんともっと話ししよう
憎さ余ってかわいさ百倍(?)
わたしは迷走を続けます