師走です

お久しぶりです

昨日は一歩も外に出ず誰とも喋らず平成最後の12月3日が、
365日のうちの一日が過ぎてしまった
師走だからかやけに喪失感が押し寄せる

11月に入ったあたりから世の中はクリスマスムード一色なのだが、なんやらこの時期になると胸がつまるというか、
胸が痛い
切ない、といったものでもなく、忙しい(せわしい)といった感じ
家業でロッジをやっていたせいもあるのか、クリスマス、年末年始など親が家にいたことがないし、家族そろったこともなかった
もちろん小学生だったわたしも幼い弟をソリに乗せて皿洗いの手伝いに行っていた
家にクリスマスツリーが飾られることもなく、玄関の金魚の水槽は凍てつき、下の方でぶくぶくが ぽこ ぽこ  ぽこ くらいになって、
金魚が氷に身動き取れなくなりかけて斜めになってぱくぱくしてるのに気付きばあちゃんを呼ぶ、といういつもの師走
クリスマスケーキはアイスケーキだった
生クリームのデコレーションケーキを初めてみたのはいつだったかな 思い出せない

クリスマスのプレゼントは朝起きると枕元に必ず置いてあった
たぶん4年生くらいまで
それは色鉛筆と塗り絵のセットだったり、絵具と筆だったり、スケッチブックだったり、挿し絵の美しい児童文学書だったり
今思えば、絵を描くことが大好きだったわたしに絵を習わせてあげられなかったことを悔やむ母の、せめてもの願いだったかもしれない
わたしはその色鉛筆や絵具で絵を描いた
紙を大事に大切に使って、裏表隙間なく
何一つ習いごとはしたことがなかったが書道や写生大会、夏休みの自由研究、作品、読書感想文などではいつも賞をとり、県の代表になったりしてその賞品がまた豪華な絵具セットだったりして、母を喜ばせた

大晦日は夕方までロッジの手伝いをし、弟をソリに乗せて家に帰り、いつもの夕飯を食べ風呂へ入り、紅白を見ながらばあちゃんが作ってくれた中華そばをすすり漬物をかじった
当然年越しのお寺詣りなど行ったこともない
子供会のどんど焼きが初詣となる

恥ずかしい話だが、母親が飛騨の人でないこともあったかもしれないが、年越しにぶりを食べるという風習が飛騨にあるのは結婚してから初めて知った

知らないことばっかで過ぎていく

若かった頃や子どもが小さかった頃はクリスマスツリーを飾ったりなんかもしたけど、どうしても幼い頃身についた習慣というのは取れないもので、
この時期がくると妙にせわしい気持ちになる
楽しむ余裕なぞ一つもない
胸が痛い

だいぶ早いが、メリークリスマス&ハッピーニューイヤー



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Posted by 女神ちゃん at ◆2018年12月04日09:52スキマ
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