普通のお仕事

何をもって普通のお仕事というのか。
それはわからんが。
先日ある映画をテレビで見ていて、その中で癌で余命宣告された夫に対して熟年の妻が言ったセリフ。

「わたし長年看護婦をやってきたわ。人の死には何度も何度も直面してきた。何人も何人も看取ってきた。普通の女がしないような経験をたくさんしてきたの。怖いものなんてないわ」

う~ん。
怖いものなんてない か。

確かに怖いもの・・・ないかもしれん。
でもその反面ずーっと昔から怖いものもある。

私も看護婦の仕事を長年してきた。
人の死を何十も見取らせていただいた。


けど怖いもんは怖い。

昨日久々に友人とお茶しながらそんな話をしていた。

若かりし頃(今でも若い。今より若い頃、という意味)よその病院で勤めていたとき、私の勤務する病棟は
呼吸器病棟で、HCU(High Care Unit:高度治療室。ICUよりもやや重篤度の低い患者を受け入れる。)もあり肺癌末期の方や呼吸機能不全の方などもみえ、慌ただしい反面、積極的治療から苦痛を取り除く治療へ切り替えた方などで常に満床状態の病棟だった。
ほんとにいろんな方がみえ、寝たきりになっても食欲のとまらない牧師さん、某〇〇教の幹部の方、元芸者さん、ヤクザ(かなり治安の怪しい街でした。寮の裏は事務所だったので火炎瓶が事務所に投げ込まれたときは非難しました。新聞社のヘリが空を飛んでました)、交通事故にあった名前のないホームレス・・・。

患者さん一人ひとりにその人の生い立ちがあり、親兄弟がいて、家族があり友人や同僚もいる。
病気になって入院治療するまでその人その人の社会での役割がある。
あたりまえだけど、退院して社会復帰したらまた仕事なり、家庭なりに戻るのである。

つまり患者さん一人ひとりにドラマが存在するのだ。
ここが看護婦を辞められない理由のひとつであるわけで、もーなんかちょっと重いなー、なんか違う仕事しよっかなー なんてレジうちや販売員などもやってみたが、どういうわけか気がつくと看護婦に舞い戻っている。
「看護師」という呼び方にどうもいまだ不慣れなわたし。「看護婦さ~ん」て呼ばれたほうがなんとなくソフトで、こっちのほうが耳にやさしい と思っている。
話がそれた。
わたしの愛すべき患者さんの話はまた機会があれば追々。(もう時効だからいいよね?)
そう、テーマは「死」。
重ーいのである。

私の勤務してた病棟は夜間は二人勤務。40床を二つのチームに分け、ひとりずつ担当していた。

0*30 準夜勤の看護婦から深夜勤の看護婦へ申し送り(患者の容態を事細かに次の看護婦に申し送ること)が始まり、だいたい30分くらいで終了。残務を済ませた準夜勤の看護婦が帰ると患者の寝静まった病棟はいっそう静けさを増す。容態の悪い(深夜帯でステりそうな人。ステルとは、ドイツ語で「死亡」を意味する)患者さんから見廻る。
あー あかんかも 
と思うと、すぐ当直医をチェック。
なんじゃ、ヤツか・・・。当たりもあればハズレもある。
あまりにハズレだと、急変時は主治医をコールしちゃう。だってハズレなんだもの。

「看護婦さん」と声が掛かる。
容態の悪い山本さん(仮名)のご家族だ。
痰を引く。意識はない。呼吸器だけで呼吸している。
静かな病室、静まり返った病棟に呼吸器のシュポーシュポーという機械音が響く。
血圧が下がってきている。
疲れきったご家族をあとに、そっと病室のドアを閉める。

で、振り向くとそこに何かが(誰かが)うずくまっている。
悲鳴を上げそうになる。
「どうしたの?」
入退院を繰り返している半田市の上田さん(仮名)だ。年々認知症が悪化している。
「焼き物市へ行ってくる」
「何買うの?    茶碗?   そうか~、やけど今夜中なんよー。バスもないしとりあえず今日は泊まっていったら」
どうやってベッドから降りたの??などと思いながら車椅子を取りに走る。
上田さんを寝かせ、
「ほんなら今日はよう寝てなー おやすみなさい」
と布団をかけ大部屋をあとにする。

ナースステーションへ戻りモニターチェックをする。
山本さんの脈拍ががくんと落ちている。
病室へ行き、血圧モニターの手動を押しながら、脈をとるが触れない。
血圧モニターは60/48

ご家族に容態を説明し、ドクターコール。
本来見取りは主治医なのだが、夜勤帯なので当直医コール。しかし、今日はハズレの日。
同時に主治医にもコール。

ナースステーション、電話横のモニターはすでに、波波形で心拍数を表す表示はHR28。
山本さんの病室へ走ると、ご家族が立ち尽くし、奥さんはハンカチで顔を覆っている。
主治医と当直医が同時に現れ(なんで?)当直医が戻っていく。

モニターのピーという電子音。
主治医が脈をとり、瞳孔散大を確認する。
「〇月〇日、2時06分。昇天されました。」
主治医と二人頭を下げ、静かにモニター、呼吸器の電源を切る。
これを切り忘れると、あとからご家族を慌てさせる(心臓が停止した後も、筋肉の震えによってモニターの波形が揺れることがある。これをご家族が息を吹き返した、と勘違いする。自分たちも違う意味で慌てる。)ことになる。
しばらくご家族を病室に残し、エンゼルセット(死後処置)の準備をする。
余談だが、仏教徒でも、イスラム教徒でも、死後処置は「エンゼルセット」を使って行われるのである。
不本意であろうが、そう呼ぶのだからしかたあるまい。
病院が入っている互助会によって「エンゼルセット」の内容も少しずつ異なる。両手を組んで胸の前で止める紐もただのさらしだったり、ガーターベルトのようにレースがついてたりいろいろで、顔にかける白い布巾(ていうの?)もただの四角布だったり化繊で光沢があり縁がこれまたレースだったり。あとは鼻や耳、はたまた内頬に詰める綿や、箸などがセットされている。
それにお湯をくんで、もうひとりの看護婦に応援を頼みいざ病室へ。
ノックしてドアを開けると、ご家族がしんみりと、ほんとにしんみりと涙をぬぐっている。山本さんは高齢であり、病歴も長く入退院を繰り返しておられたので、ご家族としてもある程度の覚悟はできていたのではないだろうか。
「今からお体をきれいにさせていただきます。」
そう言うと、娘さんが
「この着物を着せてあげてください」
とやはりあらかじめこのときを覚悟されていたようにまっさらの着物(寝巻き)を取り出す。

こういうときに、とんでもないものを着せて、と用意してくるご家族もいる。剣道の師範だった人に胴衣(どうやって着せるの?)、教祖様にはえらいキラキラのお着物(どうやって??)など、焦ってしまう。

山本さんは細身で身長も高く、温和な方で死顔もとても穏やかだった。
「おつかれさまでした」
熱いタオルをぎゅっとしぼり、足から順に体を拭いていく。
「おひげを剃りますね」
そう言ってもう一人の看護婦が泡を付けた顎に剃刀をあてる。
私は体を拭く。
「山本さん、しんどかったよね。がんばったよね。」
髭剃りが終わり、着物を着替えるため横向きに、そして仰向けに。
「わ!血!!」
山本さんの顔が血だらけだ。剃刀負けである。人は亡くなっても剃刀負けするのである。ていうか、血だらけだ。ご家族に見られたらまずい。
慌てて止血しようとするが、これがなかなか止まらない。
しかたなく絆創膏を貼ってみた。
3枚の絆創膏。3枚のお札ならぬ、3枚の絆創膏。
許してくれるよね?山本さん。

「終わりました。どうぞ」
ご家族を病室にお通しする。



つづく 









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